旅行記

フランス5日目 ロワールの古城巡り【後編】

お昼を食べてバスに乗ると、30分程でシュノンソー城へ到着しました。

シュノンソー城へ向かう道は整備されており、直線がとても気持ちいいです!

どんどんと先へ進むと、ついに城が見えてきました!

シュノンソー城


もともとは城塞と水車小屋でしたが、当時の財務大臣であったトマ・ボイエがこれらを壊して城を作りはじめました。しかし、トマ・ボイエの代で建設は終わらず、息子に城を譲ります。しかし、息子の代でも建設は終わらず、結局、国王であるフランソワ一世に納めることとなりました。

フランソワ一世は城には手を付けませんでしたが、その息子アンリ2世がディアンヌの設計の元に城を建てます。これがシュノンソー城です。橋の手前には城塞の名残である見張り塔も残されています。

下の写真の右側の塔ですね!

城主は全て女性。「6人の奥方の城」とも呼ばれています。

この6人とは誰なのか。

フランス王家家系図

フランスを観光していると似たような名前がたくさん出てきます。誰が誰か良く分からなくなるので、家系図を書いてみました!なかなか調べるのに時間がかかりました(^^;)


ヴァロワ朝は250年も続いた長い王朝。フランソワ一世はヴァロワ朝の9代目の王様です。ヴァロワ朝は1589年、13代目のアンリ3世で終了します。

ヴァロワ朝の後はブルボン朝へと続きます。アンリ二世の子供であるマルグリッドがブルボン家のアンリ4世と結婚し、フランス王国の王様となることでブルボン朝が始まりました。ブルボン朝ではルイのオンパレードです。ルイ14世は有名なベルサイユ宮殿を建てた王様。フランス革命はルイ16世のときに起きました。

一代目城主:ディアーヌ・ド・ポワチエ

最初の城主はディアーヌ・ド・ポワチエ。当時の王様アンリ二世の愛妾(あいしょう=公の愛人)です。ディアーヌはアンリ二世よりも20歳も年上ですが、肌が雪のように白く、非常に美しかったよう。その美貌は60代になっても保たれており、ディアーヌの美の秘訣を明らかにするためにDNA鑑定も行われたようです。この研究からディアーヌは金中毒で亡くなったと鑑定されました。当時、金箔を水に混ぜて飲む美容法があったのだとか。ディアーヌは金箔を摂取し続け、金中毒になったと考えられています。

実はこのディアーヌ、アンリ二世が幼いときの家庭教師なんです。

アンリ二世が7歳のとき、父のフランソワ一世はイタリアと戦争をしていました。最初の戦いでは勝ちましたが、1950年代に新生ローマ帝国のカール5世に負け、フランソワ一世は捕らえられました。しかし、フランソワ一世が捕虜となり、牢獄に入れられた期間はたった一年。自分の代わりに息子を差し出したことで、自由の身を手に入れました。息子であるアンリ二世と1歳年上の兄はスペインに送還されます。

送還される二人を見送る際、抱きしめてくれたのは母や父ではなく、ディアーヌでした。身代金の支払いには時間がかかり、2人は4年間もの間、城に幽閉されました。フランスにようやく戻りますが、兄は13歳で亡くなってしまいます。兄はフランソワ一世のことをずっと恨んでいたようです。

アンリ二世は14歳のとき、イタリアのメディシス家出身のカトリーヌ・ド・メディシスと結婚します。年は同い年。カトリーヌはアンリ二世に一目惚れしますが、アンリ二世が本当に恋心を寄せていたのはディアーヌだったようです。

アンリ二世が15歳のとき、当時未亡人であったディアーヌを愛妾にします。アンリ二世とカトリーヌとの間には結婚後10年以上も子供が出来ませんでしたが、カトリーヌは妊娠体質だったようで、1度生まれるとどんどん生まれ、最終的には10人の子供を出産しています。このうち7人が無事に成長しました。

アンリ二世は40歳のときに不慮の事故で亡くなります。アンリ二世の妹マルグリットと娘エリザベートの結婚を祝福する祝いの席で、アンリ二世はモンゴメリーと馬上槍試合を行います。2人の騎士が一騎打ちのような感じで長い槍を交えるもので、もちろん本気で戦うわけではありません。この席で、モンゴメリーの持つ槍がたまたま、甲冑を通り抜け、眼に刺さってしまいました。その後、感染症などもあり、11日後に亡くなってしまいます。アクシデントであることは分かっていましたが、モンゴメリーは王を殺した罪で重罪になりました。

このとき、アンリ二世の妻であるカトリーヌは、ディアーヌとアンリ二世を面会させなかったようです。

二代目城主:カトリーヌ・ド・メディシス

アンリ二世亡き後、ディアーヌが住んでいたシュノンソー城にカトリーヌが住むようになります。城を奪ったと言われていますが、実際はもう少し穏やかに他の城があるから引っ越してと言ったとも言われています。そして、カトリーヌは徹底的にシュノンソー城を改装しました。ディアンヌの痕跡を消すかのように。当然、ディアーヌの居室も改装されています。

ディアーヌはアネット城に移ることになりますが、このとき、アンリ二世から貰った宝石は置いていったそうです。こんなにも自分は愛されていたんだと誇示するように。女のプライドですね。

カトリーヌはイタリアのフィレンツェ出身。イタリアの先進文化をフランスにもたらしたと言われています。ナイフやフォーク、食器類、食事作法、地中海野菜、アイス、マカロン、香水などなど。フランス文化に与えた影響は大きいようです。

ナイフやフォークが伝わる前、どうやって食べていたかというと手づかみです。フランソワ一世の時代は手掴みでものを食べる時代でした。汚れた手はテーブルクロスの端で拭き取り、グラスもなく、銀製のカップを回し飲みしていたようです。

三代目城主:ルイーズ・ド・ロレーヌ

三人目の城主はルイーズ・ド・ロレーヌ。アンリ三世の妻です。

シュノンソー城に移ったときから鬱病であったと考えられています。アンリ三世は37歳で暗殺されますが、ルイーズがシュノンソー城に来たときには既にアンリ三世は亡くなっていました。

常に白い喪服を着て過ごしていたことから、白い貴婦人と呼ばれています。

3階にあるルイーズの寝室は黒塗りの真っ黒な部屋。

ここで、冥想と祈りを捧げていました。真っ黒い部屋の中に白い服の婦人と言う対比がなんとも言えませんね。

四代目城主:ルイーズ・デュパン

4代目城主は王族ではなく、資産家の娘であるルイーズ・デュパン。

進んだ文化人で、シュノンソー城でよくサロンを開いていたそうです。サロンとは文化人を集めて会食することで、フランス革命に影響を与えたヴォルテールやルソーも招かれていたようです。

フランス革命は啓蒙思想の文化人が中心になって起こっているので、サロン開催場所で会ったシュノンソー城はフランス革命の際に襲われずにすみました。

五代目城主:マルグリッド・ペルーズ

5代目城主は産業資産家出身の女性、マルグリッド・ペルーズ。

2代目城主カトリーヌによって改装された城を膨大な私財を注ぎ込んでディアーヌ時代の姿に復元しました。天蓋ベッド、アンリ2世の椅子、寄木造りのテーブルはルネッサンス時代のものでマルグリッドによって復元されたものだそうです。

天蓋ベッド、女の子はやはり憧れるのでしょうか。

しかし、マルグリッドは家が政治的陰謀に巻き込まれ、破産してしまいます。その後、シュノンソー城は20世紀に入るまで売却が繰り返されます。

六代目城主:シモール・ムニエ

6代目城主となったのが、シモール・ムニエ。時は第一次世界大戦中。シモールは私財でベッドを城に設置し、負傷した人々を治療しました。第二次世界大戦でフランスはナチスドイツに占領されます。ロワール川が占領区と自由地区との境界。シュノンソー城はロワール川を跨いで建てられているため、人々は占領区からシュノンソー城を通って逃げることが出来ました。

以上がシュノンソー城に住んだ6人の奥方です。現在はチョコレート会社ムエニカンパニーの所有物となっています。

シュノンソー城へ入城


早速中に入っていきます。

まず目に入るのが入り口。

フランソワ一世のシンボルマークである“F”と火を吹くトカゲ“サラマンダー”が描かれていますね。

そして、その扉も豪華。フランソワ一世の時代に作られた物で、非常に歴史ある扉のよう。トマ・ボイエの座右の銘「 S'il vient à point, me sowiendra(城を造れば私は歴史に残る) 」と言う文字が刻まれています。

中に入るとまず目に付くのが礼拝堂です。ステンドガラスが非常に綺麗です。

そして、ギャラリー。ここがまさに川に掛かっている部分。占領区と自由地区の境目です。

シュノンソー城の中には至る所にお花が飾られていました。ここは台所。銅製の調理器具もたくさん展示されていました。

城内をガイドさんと一緒に回ると自由時間。ただ、時間がありません!与えられた時間は経ったの20分。バスに戻るまでに10分程掛かるので、実質10分程しか見ることが出来ません。

私たちは川に浮かぶ城の前で写真撮りたかったので、城に向かって右手へ。これぞシュノンソー城って感じのポイントで写真が撮れました!

シュノンソー城はフランスの城の中で、ヴェルサイユ宮殿に次いで2番目に観光客が多い城とのこと。美しいお城でした!

クロ・リュセ城


このバスツアー最後のお城がクロ・リュセ城でした。シュノンソー城からバスに乗り、30分で到着です。

近くの駐車場にバスを止め、すこし道路を歩いて城に向かいます。

クロ・リュセ城の目の前にあるのは民家でしょうか?石造りで可愛いお家ですね。

クロ・リュセ城はフランソワ一世がダ・ヴィンチを住まわせた城。

ダ・ヴィンチがホームシックにならないようイタリア風に赤レンガを使って改築した城。白っと言うよりもレンガ造りの家って感じがします。

庭もイタリア式のようです。

外観もそうですが、中も城と言うよりも家って感じ。シャンボール城やシュノンソー城のような華やかさはないですが、住み心地は良さそうですね。

木の階段なんかも可愛らしいです。

ダ・ヴィンチはクロ・リュセ城でなんと8000枚もの設計図を残しています。この設計図を元にIBM社が出資していくつかの発明品が作製されており、現在、クロ・リュセ城に展示されています。

ダ・ヴィンチは余生をゆったり生きていたのかと思いきや意外と多忙な毎日を送っていたようで、フランソワ一世が開くパーティーでは、部屋の準備やドレスコードなどを考えていたようです。平均寿命30歳に満たない頃、ダ・ヴィンチは67歳まで生きているので裕福な暮らしであったことは間違いなさそうです。

ちなみに、フランソワ一世とダ・ヴィンチの関係を描いた絵で、亡くなったダヴィンチをフランソワ一世が抱きかかえているものが良く描かれていますが、これはアーティストが想像で描いた絵。ダ・ヴィンチが亡くなった 5月2日、フランソワ一世は息子の洗礼のため郊外に出ており、死に目に立ち会えていないのです。

中庭に出るとバラがたくさん植えられていました。中庭からのクロ・リュセ城の姿もとても綺麗でした!

フランソワ一世はアンボワーズ城に住んでおり、クロ・リュセ城からアンボワーズ城を眺めることが出来ます。アンボワーズ城とクロ・リュセ城は秘密の地下道で繋がっていて、行き来ができたそうです。

クロ・リュセ城にはオランジェリーと呼ばれる果樹園があります。オランジェリーで作られた柑橘類は乾燥させてスパイスにされていたようですね。

クロ・リュセ城での自由時間はありませんでした。

見学が終わったらバスに乗り込み、そのままパリの街へ帰りました。

明日は、電車に乗ってヴェルサイユ宮殿を観光です!

おまけ1:パリの歴史


帰りのバスではパリの歴史について色々とガイドさんがお話ししてくれました。

パリの起源はノートルダム大聖堂があるシテ島にあるようです。

2300年前からパリジー族が住み始めました。シテ島内では右岸よりも左岸の方が歴史的に古いようですね。

2000年前にローマ人がやってくるわけですが、パリジー族から略奪や虐殺を行うことなく、共同生活をはじめました。ローマ人が作った浴場や円形劇場が今でも残っているようです。

どんどんと人が増え、シテ島内に収まりきらなくなると、島から人が出てパリの街が大きくなっていきます。

自分の領地を守るためには壁が必要です。人々は壁を作り、家を建てて住みますが、人口増加は進むばかり。壁の内側には人が収まりきらなくなり、壁の外側に家が建つようになっていきます。そうなると、また外側に城壁が作られて・・・と、パリ市内には何重にも壁がありました。

今もパリ市内には城壁が残っています。環状道路が走っている場所が100年前まで城壁があったところです。時代が進むと攻撃は陸からではなく、空からやってくるので、城壁の意味はあまりなくなりました。

環状道路の内側がパリ。それ以外がパリ郊外 」と区別されているようです!

おまけ2:シテ島の右岸と左岸


パリの川と言えばセーヌ川。パリの街はセーヌ川を隔てて、右岸と左岸に分けられています。上の地図にもあるように、セーヌ川は東から西へ流れていますが、東岸・西岸とは言わず、右岸・左岸と言われています。これは、一般的に河川を上流から下流に向かって眺めたとき、右側を右岸、左側を左岸と呼ぶからなのだそうです。

ちなみに、セーヌ川には37個もの橋が架かっています。その中で最も古い橋はシテ島の先端にあるポンヌフ橋です。

おまけ3:パリの暮らし


今現在、パリの人口はパンパン。それに加えて、パリ市内の建物には高さ制限があります。高くても 5-6階建てが精一杯なので、これ以上人を収容できません。

そのため、人々は郊外に家を持っています。平日はパリ市内のアパートに住み、週末はパリ郊外の家に帰るというスタイルが定着しているようです。なので、金曜日の夕方はパリ郊外へ向かう車で高速道路は大渋滞のようです。

フランスは農作物が豊富で、ジャガイモ畑やにんじん畑、家畜用のとうもろこし畑が多くあります。また、ヨーロッパの小麦の20%を生産する小麦です。

このため、サラダはほとんどが国産。日本とは違いますね。

フランス産のいちごは甘く、美味しいようです。スペイン産のいちごも売られているようですが、粒が大きいいものの味がないようです。

狩が解禁になると、パリのお店の前にも肉が吊るしてあったりするそう。お店にもジビエが増えるようです。鹿や野鳥など、古くから狩猟文化が根付いています。16世紀は白鳥やカラスなどの野鳥も食べていたそうですよ。鶏の丸焼きが描かれている絵を見たら、注目してみましょう。白鳥だったりするようです。

おまけ4:ロワールの古城巡りを振り返って


今回、私たちはH.I.S.のオプショナルツアーに申し込んでロワールの古城巡りに行きました。パリでの滞在を一日減らして観光したのですが、申し込んで本当にと思いました!

パリを出発し、一日で3カ所巡り、パリに戻ってくるという密なスケジュールのため、たしかにゆっくり観光は出来ませんでした。ただ、自分たちで計画して行くとなると、こんなに効率よく見れませんし、頼れる人が居ないので心身共に疲れますよね。ツアーに参加することで十分に雰囲気は堪能できましたし、やはりガイドさんがついて説明してくれるのは良かったです。

価格は19,960円/1人

決して安くはありませんが、パリからロワールまでは、電車で3時間半もかかります。それに加え、各城の入場料、昼食代、日本語ガイド代など考えると妥当な値段なのかなと思いました。

フランス旅行を計画していたら是非!

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